祟りって本当⁉️島の伝説と怪事件

ギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設し戦いでは敗れたことがなく、歴史上において最も成功した軍事指揮官であると広く考えられているアレキサン大王は蚊に刺されて死んだ。

恐るべし蚊❗

どーもコーです❗

ネットで、気になる記事を発見したので紹介しますす!

 

八丈島火葬場七体人骨事件 

 

これは、
1994年に、起きた未解決事件で、(現時点で、解決してるかは不明です)
お盆を直前に控えた8月11日、その日に予定されていた葬儀のため火葬場の職員が炉を開けたところ、炉内にぎっしり詰め込まれた人骨を発見した。

いったい、いつ、誰が、焼いたのか不明である。

 

 

八丈島警察の調べにより、この人骨は約7体分明あり、中には子供の骨も混ざっていた。

 

8月6日に火葬場を使用その5日後の 8月11日 にが発見。


6日〜11日の4日のあいだに、何者かによって無断で使用されたらしい。

 

炉内が冷めていたことこら、実質的には8月10日を除外した3日間だと考えられた。

 

事件を報じる当時の新聞

画像は毎日新聞の紙面だが、八丈島の南海新聞が21日に報じ、その後他全国紙でも『八丈島ミステリー』として取りあげられてる
毎日新聞 1994年8月24日


島の伝説は、やはり本当⁉️

 


確かに過去には事故も起こっており、それを報じた地元紙『南海タイムズ(1952年11月23日付)』の見出しは以下のようになっている。

 

『中之郷潮間林道大崩壊惨! 大澤監督ら七名生き埋め』

 

ちょうど、亡くなった作業員の数が七人だ。
火葬場で見つかった人骨も七柱。

発見された人骨も7体、亡くなった作業員も7名、7と言う数字は、島では特別な意味を持っていた。

このような事から島に伝わる伝説と重なると考えられている。

 

島の伝説

 

それは『七人坊主』
はるか昔、八丈島の海岸に流れ着いた僧侶七人が島民に迫害され、惨苦の中で死んでいったという物語――。

僧侶たちは『妙な術』を使うとして村人に恐れられ、迫害された。村へと続く道には柵や罠を設置され、食べ物の乏しい東山へと追いやられ、そこで僧侶たちは村人たちを呪って一人、また一人と死んでいった。

それから村では、不吉な出来事が相次いだ。
夜がくると白装束を着た僧侶の霊が村内を歩き回り、収穫期には農作物が不作になり、家畜は次々に死んだ。

そこで村人たちは祟りを鎮めるため、東山の頂上に七人坊主の塚を建てた。

しかし、坊主の祟りはその程度では収まりきらず、現代になっても東山付近で僧侶の話をしたり悪口を言ったりすると、かならず怪我や病気という災厄に見舞われるという――。

これが民話として島に伝わる『七人坊主』だ。

この話は八丈島郷土史家、浅沼良次氏による民話集『八丈島の民話』に『七人のぼうさん』として採録されている。

 

はたして、伝説や、呪いは本当なのでしょうか。

 

7体の人骨の発見や土砂崩れ事故を民話と結びつける者はいたようです。

民話の中で「『七人』と『いわく付きの場所』だけあって気味の悪い、不思議な事だ」と触れられています。

 

不思議な未解決事件ですね。

 

日本全国には、まだまだ未解決事件が沢山ありそうですね。